6/15 人生は最後で
7/1 豊かな国?
7/28 国際音楽教育学会
8/4 知恵熱
8/18 ロンドンのシニアピアノ
8/19 ピアノを習うことは事件
8/29 老後はオペラ
9/8 理論は嘘
9/29 食べられない
10/6 入院
10/30 ドキドキ
10/31 宣告
11/2 長い夜
11/6 告別式
11/18 本物の楽しさ
12/2 みんなほんもの
12/14 納骨
12/15 メタボ検診
2008年6月15日(日) 人生は最後で決まる
よく利用する秋葉原で、7人が死亡という残虐な通り魔事件。
ああ怖い。
容疑者がブログに書いたという言葉、
「自分の人生は負けっぱなし。」
どうして、たかだか25歳くらいで、
自分の人生を決めつけてしまうのでしょう?
人生はまだまだ長いのに・・・。
70歳、80歳の方にピアノを教えていると、本当にそう感じます。
人生の前半や中盤が、たとえ不幸の連続であっても、
数々の悲劇にみまわれても、
人生後半ではその分、楽しく幸せな日々になる人もいらっしゃるのに…。
その人の人生は、最後で決まるというのに・・・。
2008年7月1日(火) 豊かな国だから?
60歳からのピアノについて、海外の人はどう思うのでしょう?
最近、そんなことに興味があるのですが、
・フィリピンは、シニアピアノどころか生涯学習の概念すら未だ無い。
・モザンビークの平均寿命は、40代。自分の年齢を知らない人さえいる。
などを聞いてショック。
60歳を過ぎても元気で、楽しく「ピアノ」などという楽器を学んでいられる。
・・・というのは、実はスゴイことなのかもしれません。
そして、その人達に少しでも良い指導をしたいと勉強している私は……、
豊かな国に住んでいるからこそ、なのでしょうか?
2008年7月29日(金) 国際音楽教育学会 ただいま!
昨日、イタリアから帰ってきました。
行く前に「行ってきます」と書いて、留守中に泥棒に入られては大変と思い、
何も書かずに行ってしまいました。
イタリアのボローニャ大学というところで、国際音楽教育学会がありました。
そこで、「シニアピアノ教育」に関するポスター発表をしてきたのですが、
近いうち、ご報告ページを作りますね。
2008年8月3日(月) 知恵熱
「シニアピアノに関する研究をして、少しでも良い指導をしたい!」
そんな気持ちで、大学院に行きました。
「女子大生」のフリを必死でしていても
やはり、55歳のおばさんが、20代学生と一緒に行動するのは、少々大変。フ〜
ゼミ合宿から帰ると、熱が38度!
勉強するとでる熱を、智恵熱と言うのでしょうか。
2008年8月18日(月) ロンドンのシニアピアノ
ロンドン大学の方からメールを頂きました。
「国際学会に行った同僚から、あなたの発表のことを聞きました。
私も同じような研究をしているので、自分の論文を送ります。」
その論文は、「高齢の学習者が鍵盤楽器で音楽を学ぶことの意味」というものでした。
学会に来ていなかった人とも、こうやって成果を共有し合い、
それらを、シニアの生徒さん達のレッスンに活かすことが出来るって素敵ですね。
はるばるイタリアまで行って発表してきた甲斐がありました。
2008年8月月19日(火) ピアノを習うことは事件
先日の学会の要旨集をみると、フィンランドの研究者がこのように書いていました。
シニアが音楽を学習することは、「人生における画期的事件」。
今日は、第29回ホームコンサートです。
初参加の生徒さんが、こうおっしゃいました。
「ピアノを弾くということは、最近の私にとって“事件”です。」
なんと同じ「事件」というキーワード!
シニアがピアノで感じることは、国籍に関係なく同じなのですね。
2008年8月29日(月) 老後は一緒にオペラ
20年位前になりますが、ニューヨークのコロンビア大学というところで
サマーセッションを受けたことがあります。
その時、同じクラスで受講していたNさんと、
イタリアのボローニャ大学の廊下で、バッタリ!!
こんなこともあるんだぁ(^-^)
そのサマーセッションは、グループピアノ指導法に関するものだったのですが、
その時に得たノウハウは、今のシニアピアノのレッスンに大いに役立っています。
そしてその時の教授の、「音楽は万人のものである」という理念は、
今の私の実践のベースになっています。
当時まだ大学院生だったNさんも、今や某国立大の偉い先生。
あの頃のように気安く「Nさ〜ん」なんて呼べない気分。
再会した二人は嬉しくなり、一緒にオペラを観ようとしたのですが、
叶いませんでした。
今日、Nさんからお電話を頂きました。
そしてこんな約束をしました。
今回は一緒に観られなかったけど、
60歳とか70歳とかになった時、一緒にイタリア野外オペラに行こう!
2008年9月8日(月) 理論は嘘
大学院の集中講義にいらっしゃった非常勤講師S先生(30代後半)の言葉。
僕はずっと、こう思っていました。
「良い研究をしている学生の方が、そうでない学生よりも上司から評価される。」
「すべては理論通りである」・・・と。
でも、実はこうなんです。
「『上司の雑用をよくする便利な大学院生』の方が、『本当に良い研究をしている大学院生』よりも評価される。」
「理論通りではない。」って、気づいたんです。
うーん、確かにそうなのかもしれません。
でも私は、上司に気にいられるよう要領よく立ち回る姑息な人よりも、
純粋に一生懸命に良い研究をしている人の方が、人間として信頼できます。
なかなか専任講師になれず、非常勤講師をいくつもかけ持ちして頑張っているS先生を応援したくなりました。
ガンバレー(^O^)/
2008年9月29日(月) 食べられない
私では、ありません。おばあちゃんです。
また、食欲がなくなってしまったのです。
本当に食べなくなってしまい、
身長160センチ位なのに、ナント体重が25キロ!
少しでも食べて欲しいと、施設のスタッフも必死です。
でも、食べてくれません。
私も、果物を摺ってあげたり、
色々工夫していますが、果汁を一口飲んでくれるのがやっとです。
2008年10月6日(月) 入院
おばあちゃんが、食べないため痩せてしまいました。
2年前のように点滴が必要かしら?
などと考えていると、「入院した」との連絡が施設から入りました。
エーッ?急いで病院へかけつける私。
担当医師が、こう言いました。
「内視鏡(胃カメラ)検査をした時に、胃と器官に傷をつけてしまい、出血しました。」
あああ・・・早く治るとよいのですが。
2008年10月30日(木) ドキドキ
「病状が思わしくないので、担当医師から説明があります。
明日、病院に来てください。」
との連絡が来ました。
説明って、何かしら?ドキドキ・・・
2008年11月31日(金) 宣告
夫と二人で部屋に入ると、おばあちゃんの担当医は、こうおっしゃいました。
「腹水がたまったので、抜いて検査したら、ガン細胞が見つかりました。」
呆然とした私達は、しばらくお話を聞いていました。
最後に、
私:「ガンの末期と言うと、よく、あと半年とか3ヶ月とか…言いますが、
だいたい、どの位・・・?」
医師:「その位だと思います。」
私:「年内ということは、ありませんか。」
医師:「あ、年内は大丈夫でしょう。」
病室を出た私達は、帰宅しました。
今日明日という話ではなくて、少しホッとしましたが、やはりショック。
葬儀だの何だの考えなくてはいけないのでしょうが、
縁起でもないことを考えるのは嫌で、私も夫もつい避けてしまいます。
来年までは、まだ大丈夫なのだし・・・
2008年11月2日(日) 長い夜
その電話は、お風呂にも入り、夕食も済ませた8時頃にかかってきました。
「病院の看護師ですが、血圧が40とか60とかになってしまったので、
これから病院に来てください。」
急遽、夫と二人で病院へ。
到着するとと、おばあちゃんの意識は既に無く、ICUのベッドに。
何も話せない状態でも、耳は最後まで聞こえているらしいということなので、
夫と二人で話しかけました。
ピッ、ピッ、ピッと心拍を示す機械の心拍数は、「110」くらいでした。
徐々に減って90代に落ち、80代に。
私達が話しかけると、また100以上に上がります。
でもしばらくすると、また低下。
危篤を知らせるために、病院の外に出て、携帯で娘や息子に電話しました。
私:「おばあちゃんが危篤だけれど、何か伝えておくことは?」
娘:「(小さいとき)遊んでくれて、ありがとう。って…グシュ」
息子にもかけて同じことを聞くと、
息子:「色々、ありがとう。と」
病室に戻ると、おばあちゃんの脈はもう50くらい。
子供達からのメッセージを、伝えました。
そして私も、語りかけました。
「おばあちゃんのおかげで、二人とも良い子に育ちました。ありがとうございました。」
夫も、何か感謝の言葉を言いました。
ふと機械の心拍数を見ると、また80くらいに復活しています。
あっ、ちゃんと聞こえているのですね。
しばらくするとまた低下して40くらいに。
私達が話しかけると、また60くらいに復活。
というのを、何度かくり返した後で、夫が言いました。
「これ以上はもう疲れるから、静かにしていてあげよう。」
そして、あとは見守っていました。
機械が心拍数「35」を表示した頃は、もう呼吸はしていませんでした。
機械の画面が真っ赤になり、警告音を発すると、
ガラスの外で見ていた看護師さんも部屋に入ってきました。
お医者様も来て、瞳孔などを見て、「10時2分です。」
本当に亡くなったのですね。ああ・・・
・・・などと、しみじみ悲しんでいられないことが判明。
「遺体はどうしますか?」
と聞かれても、どこの葬儀屋に頼むのかさえ考えていなかったからです。
急いで電話帳で、ご近所の人がよく使う葬儀場の名前を探して、電話。
幸い、すぐに迎えにきてもらえることになりました。
遺体を乗せた車が、病院を出ていくのを見送り、自分達も帰宅しました。
なんと長い夜だったでしょう。
2008年11月6日(木) 告別式
昨日がお通夜、今日が告別式です。
享年91歳でした。
家族と、家族同然のごく親しかった人だけで葬儀をしました。
考えてみれば、義母とは30年間、私の人生の半分以上を、
同じ屋根の下で一緒に暮らしていました。
至らない嫁でしたが、幸せな人生であったことを願うばかりです。
長男の嫁としてやるべきことに追われていましたが、
そのうちゆっくり、義母が教えてくれたことなど考えたいと思います。
どうぞ、これからは、天国で私達を見守っていてください。
2008年11月18日(火) 本物の楽しさ
今日は、第30回−60歳以上のホームコンサート。
演奏が終わった後のティータイムで、どなたかがおっしゃいました。
「ピアノを習って、『これは本物の楽しさだ』って、思いました。」
テレビを見て楽しい、冗談を言って楽しい、色々な楽しさがあります。
でも、ピアノの楽しさは、そういう楽しさとは一味違うのだそうです。
少しでも、そんな「本物の楽しさ」を味わうお手伝いができれば光栄です。
2008年12月2日(火) みんなほんもの
本物の楽しさが出たついでに、「みんなほんもの」という相田みつをさんの詩を
ご紹介します(シニアのピアノ生徒さんから教えてもらったのですが…)。
「トマトがねえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんなそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものに
なりたがる (相田みつを)」
プロのようなピアニスティックな演奏、
パラパラと指だけ動く小学生のような演奏、
・・・そんな風に見せようとしなくても大丈夫。
でも、長く生きてきたシニアにしか出せない味のある演奏。
人生の辛さも苦労も知っているシニアだからこそ、心から楽しいと思え、
そんな楽しさが伝わってくるようなピアノ。
ほんものの「60歳からのピアノ演奏」を聴かせてほしい。
2008年12月14日(日) 納骨
雨が降って凍るように寒い中、無事に義母の四十九日と納骨を行いました。
義父の骨壷の隣に、義母の骨壷を並べました。
「やあ、久しぶりだね。」
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
などと、しばらく二人で思い出話をしていそうな気がしました。
どうぞ、天国で二人仲良く・・・
2008年12月15日(月) メタボ検診
何となく気が進まなかったのですが、義務だそうで、受けてきました。
当日は、朝食抜き。お茶もお水も我慢。
目覚めのコーヒーも飲めず頭はボーッ。お腹はグー。
しかも、13時からなので、昼食まで抜き!!お腹ペコペコ〜
これで、メタボにひっかかったら、最悪です。
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